会社沿革
創成期
- 明治30年頃
- 相楽木綿の産地の為、福岡国松(初代)が、綿糸を仕入れ販売の糸問屋を始める。
- 大正前期頃
- 福岡作次郎(二代目)が相楽木綿を手機(てばた)織機で織り始める。
- 昭和2年
- 力織機の導入に伴い、京都府相楽郡木津町相楽八ヶ坪1番地に福岡織布工場を設立して、蚊帳織物を始める。
- 昭和20年頃
- 蚊帳織物の技術を利用して、襖の生地の織物を始める。
- 昭和21年頃
- 福岡善盛(三代目・前会長)が終戦後に復員し、福岡織布工場に勤める。
第一次変革期
- 昭和47年5月4日
- 織物を直接消費者に提供するために壁紙・襖紙を製造・販売する目的で、福岡善盛(三代目・前会長)が京都府相楽郡木津町相楽明后前3番地に丸由産業株式会社として法人成立。資本金500万円。
- 昭和50年
- 襖紙の製造・販売に伴い、九重織の製品を織り始める。
- 昭和52年
- 福岡貞男(四代目・現社長)が福岡織布株式会社及び、丸由産業株式会社に入社。
- 昭和53年
- 国が構造改善事業として、織機の台数確認及び、台数の減少を目的として織機の権利の買い上げをする。
- 昭和55年5月26日
- 現工場長が入社する。
- 昭和55年
- 現工場長が自社製品及び、外注製品の規格を資料帳としてまとめ始める。
- 昭和58年
- 襖の生産率を上げる為に、イマムラ社製のレピア織機を12台導入する。この織機を導入したことによって、よこ糸が6種類まで使用して生地を織れるようになり、製造できる生地のバリエーションが増える。
- 昭和58年12月10日
- 福岡織布工場を福岡織布株式会社へ法人化。資本金1000万円福岡善盛(三代目・前会長)が福岡織布株式会社の社長に就任する。
- 昭和62年
- 国が構造改善事業として、最後の織機の権利の買い上げを行う。この出来事以降、織機に権利がつくことはなくなり、だれでも織業界に参入できるようになり、同業種が増えた。
第二次変革期
- 平成元年
- 壁紙生地の外注を受けて製造するようになる。福岡貞男(四代目・現社長)が福岡織布株式会社社長に就任する。
- 平成4年
- 福岡善盛(三代目・前会長)が産業功労者として表彰される。
- 平成7年
- 住宅の着工件数が減少することを予測し、襖生地とは別に新しい柱となる新製品を模索していたところ、取引先から照会があり、試行錯誤の末、ストールの生地を織り始める。
- 平成9年
- カバン生地の加工依頼に来たカバン生地メーカーにナイロン繊維等の生地製造の相談を受け、試行錯誤の結果織ることができ、カバン生地の外注を受けるようになる。
- 平成12年
- イマムラ製レピア織機4台を出して、ナイロン等の特殊な糸や太い糸なども織れる、アイワ製レピア織機を1台導入する。
- 平成14年
- 福岡善盛(三代目・前会長)が藍綬褒賞を受ける。
- 平成18年
- アイワ製レピアをもう1台導入する。計2台。
- 平成19年
- 福岡善基(五代目・現専務)が福岡織布株式会社及び、丸由産業株式会社に入社。
- 平成20年
- 生産率を上げる為に、イマムラ製レピア2台を出して、回転数が高く織れる生地の量が多い、津田駒製R-200を2台導入する。
- 平成24年
- 最新式の織機、津田駒製のエアージェットZAX-9100を2台導入する。これにより、ある程度の大量生産が可能になる。
- 平成29年
- ものづくり・商業・サービス生産性向上促進補助金にてコーディング機の増設。
- 令和2年
- 小規模事業者持続化補助金にて、ラミネート機の乾燥能力を高め、のり付きふすま紙の製造を始める。
求人情報
求人募集中です。まずはお問合せください。 2022年11月〜
仕事内容 |
襖生地・壁生地の貼り合わせ
・機械を使用した生地と紙の貼り合わせ作業
・上記の張り合わせた製品のコーティング作業
・機械を使用した製品のチェック作業
・襖、壁紙の断裁及び包装作業
未経験の方でも丁寧に指導しますので、安心してご応募ください。 |
勤務地 |
〒619-0222
京都府木津川市相楽明后前3番地 |
雇用形態 |
正社員及びパート(同条件での試用期間3ヶ月有り) |
年齢 |
年齢制限あり(64歳以下) ※定年(65歳)を上限のため |
その他 |
マイカー通勤可(駐車場有) |
資格 |
普通自動車免許 あれば尚可 |